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第一話 高野山への旅

 東大出身の道産子、慎也は、真言宗伝灯阿闍梨善信和尚に導かれ、高野山への旅にある。今日のフライトは異様なほどに揺れがなく、穏やかである。スチュワーデスが置いてくれた、紙コップに注がれたオレンジジュース液表面が、さっきから静止したままで、かえって慎也の科学的好奇心を引いていた。窓の外を眺めると、雲ひとつない虚空を貫いて、太陽の光線が放射状に後光を放っている。まるで仏さまが笑って祝福しているかのようである。下界を望むと、三陸海岸のギザギザした輪郭が、地図を見ているかのようにくっきりとわかり、太平洋が無限に広がっている。昭和五十九年十一月、今年は弘法大師入定千百五十年目の御遠忌にあたる。いわゆる衣替え、いまだに座禅を続けられていらっしゃるお大師さんのお衣を替える儀式のある年である。

 どうして自分が今こうして大阪への飛行機中にいるのか、高野山に得度受戒に向かっているのか、慎也には自分の思考として、整理がつかないままである。いままでの自分は、すべて理性的な思考によってものごとを整理することで、揺るぎない自信を獲得してきたはずだ。そういう自分の能力とエネルギーを社会に還元する義務が自分にはある。やがて自分を支えてくれる心優しい伴侶と巡り会い、この大海原のように洋々たる人生を歩むことが、自分の運命であったはずだ。それが、高野山にて得度受戒し、仏道に帰依することと、どういう関わりを持っているのだろうか。僧侶とは葬式にてお経を上げ、戒名を授ける職業ではないのか。それが、日本の最高学府で最先端の都市環境工学の技術を学んだ自分と、どういう関わりがあるのだろうか。友人や親族からは、まるで奇を衒っているようにしか、写らないのではないか。断ればいつでも断れる話である。

 しかし、この「安心感」はいったいどこから湧いてくるのだろう。思考することを、湖面のさざなみのようにたわいのない「うつろい」にしてしまう、満々とたたえられた湖の静けさと深さを、善信和尚から気づかされた、あの言葉を何度も噛みしめてみるのである。「密教でいう成仏とは、自分の本心に立ち返ることじゃよ。」あの瞬間から、一所懸命に思考や動作しようとする緊張感から自分をすべて開放する、何かしら根源的な生命の意志に、慎也は気づき始めていたのだ。しかし、そういう個人的な喜悦を学びたいということと、自分の職業や結婚までも左右することに踏み込むことは別の次元の問題としか、今の慎也には思えない。そういう心配すらも、湖のさざなみに過ぎないというのだろうか。いや違う、世の中がそういう常識によって成り立っているではないか。やはり、得度入道ということは、自分の能力を世に生かすための個人的な手法として、整理することとしよう。今の慎也としては、こういう解釈によって自分を納得させるのがせいいっぱいである。

 それにしても、そんなさまざまに心の中で葛藤してきたことを払拭してしまうほどに、飛行機に乗っている今日の慎也は至福の中にあった。飛行機嫌いの自分がこれほど空中に居る喜びを味わったのは、初めてである。いや、飛行機だけのことではない。高野山へ生まれて初めて赴くことそのものに、生命の奥底から沸き起こるような、まるで火山のマグマのような躍動を覚えるのである。それは、旅に訪れるというより、むしろ、故郷へ帰る時のような気分である。飛行機を予約した2週間前、善信和尚は、「その日はだめじゃ。次の日にせい。」ときっぱりと飛行機の便を指定した。昨日は低気圧と前線が日本列島を覆い、もしその飛行機に乗っていたならば、飛行機嫌いがさらにもっと嫌いになるところであっただろう。それが、この微動だにしないフライトである。実は、その予言の不思議さが、合理的思考能力によって支えられてきた自信を打ち砕くとともに、一方では、そのために蓄積してきた人生の緊張から、一気に慎也を解放したのである。「なまずが地震を予測する。」ことは科学者も認める事実である。なまずでさえその程度の余地能力があるとするならば、高度に進化した動物として、人間が本来持っている余地能力は、それより遥かに優れたものであるのだろう。それを現代人が失っているのか、あるいは持っていながら気づかないことだけのことなのだろう。慎也はそういうことが信じられることなのだと、今感じ始めたのである。慎也が、生まれて以来経験したことのない、この不思議な至福感に包まれていたのは、こんな経緯も影響していたのかもしれない。

 大阪伊丹空港で飛行機を降りて、軽い昼食を食べた後、難波行きのバスに乗った。高速道路から見る大阪の景色は、慎也には生まれて初めてのものである。思いの外、小さな町工場が多い、そこでたくさんの人々が何やら忙しそうに駆け回っているのが見える。高校生の時、修学旅行で訪れた京都のあの洗練された風景とはまた異なった、人間味のある風景である。バスの中には、先ほどから関西弁が溢れている。北海道で聞くとヤクザのおどしのように聞こえる語調も、こういう景色の中で聞くと、妙に庶民的に聞こえる。「ああ、関西人とは、こんなに飾らない人々だったんだ。」そしてこんなに真面目に働く街であることを、慎也はぼんやりと感じていた。

 やがてバスは南海難波駅に着いた。東京と変わらない大都会である。あまりの活気におどおどする慎也を、善信和尚の軽快な歩調が、どんどんと引っ張って行く。やがて改札口に着き、和尚から「高野山極楽橋」と書かれた切符を渡された。電光時刻表を見ると、2時、3時、4時と、毎時ちょうどの時間に急行高野山行きの文字が並んでいる。他の列車とは別格に扱われているようである。南海電鉄の創業者後藤重太郎は、高野山への深い帰依を示した弘法大師信仰者であったと言う。おどおどする慎也に、さりげなく和尚は語りかける。その何気ない一言一言が、慎也の心の奥底をゆり動かしてゆくのである。東京を通してしか知らなかった関西が、いかに底深い歴史の背景を有する土地であるかを、慎也は徐々に感じ始めていた。高野山までは急行で1時間半ばかりの車中である。朝早くの出発で多少の疲れもあったのだろう。電車の椅子に腰掛けてほどなく、慎也はうたた寝の夢に落ち、ここに至るまでの事を思い出していた。

注;登場人物は仮称ですが、歴史的に有名な偉人は本名を用いております。